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福音総合理解の探求
新約聖書注解書シリーズ 執筆のヴィジョン 前編

JTJ宣教神学校前学長 ミッション2001巡回伝道者  岸 義紘

ぼくのお母ちゃん

ぼくのお母ちゃんは娘のころから宣教師の先生たちを尊敬し、
ピュ-リタン的厳しさや敬虔主義的きよめの倫理を胸に、
しかし、清濁併せ呑むような国民性で、明るく楽しく生きていた。

ところが、多くの人から煙たがられ、わずかな人からは感謝されてもいた。

「〇〇さんは罪を悔い改める必要がある」「〇〇さんはサタンにやられとる」
「〇〇さんは霊的に眠りこけとる」「このまま放っといたら、天国には入れん」

さっそく訪ね、玄関先で、ときに臨終の枕元で忠告して、悔い改めを迫るのだった。

「このままでは天国から締め出されます」「再臨で取り残されます」

「神様からひどい目にあわされます」「恋愛は偶像です。幸せにはなれません。献げて下さい」

ぼくの反応。「また余計なお世話をやきょうる。嫌われるだけじゃろうが。
迷惑な話じゃ。そもそも『救われる』いうのは、いったいどういうことなんか???」

そんなお母ちゃんの熱烈な律法主義の呪縛からの解放と自由を、ぼくは神学校時代に、
「ガラテヤ人への手紙」によって獲得したのだった。





福音総合理解の眼で聖書テキストを読む

神様に対して、聖化(イエス様のように変えられていくこと)に生きるため、
イエス様は律法(主義)と罪の下にあった私たちを、ご自分の十字架でともに死を通過させ、
復活によってともに生き返らせ、聖霊によって永遠のいのちを与えて下さった。

信じるだけで救われる。救われた後は、信仰と恵みによる聖化の生涯が始まる。
これこそがパウロの偉大な福音の真理と信仰告白だ。

ぼくの長く悩ましい戦いは、まず聖書神学的に決着がついた。
このことが、後に福音総合理解の眼で聖書テキストを読む決定的な背景となった。

ぼくは高校受験に失敗、すべり止めの高校で数学と理科に行き詰まって1学期と1日で退学。
あせりと挫折の中で十字架の愛に感動し、復活のいのちで別人のように元気をいただいて、
即献身、その道に進む準備を開始した。16歳になった直後のことだった。

夢ばかり大きくて絞れず、夜間大学と神学校を行ったり来たり。26歳と28歳でそれぞれを卒業。
22歳から礼拝説教を担当した。

24歳で結婚。神学校の通訳と講師と開拓教会からの謝礼で生計を立てつつ
講義と説教の準備のため、生まれて初めて勉強に集中できるようになった。

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