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前回、岩手県上閉伊郡大槌村の「ひょうたん島。蓬莱島の灯台の物語」を紹介したところ、予想外に凄い反応を頂きました。
ところが、そもそも、「ひょっこりひょうたん島」って何? という問い合わせを頂き、武井 博先生がお書きになった
「泣くのはいやだ、笑っちゃおう」-ひょうたん島 航海記-(アルテス パブリッシング)から、
「ひょっこりひょうたん島」誕生秘話をお話ししたいと思います。

「チロリン村とくるみの木」と「びっくり ひょっこり ひょうたん島」

「チロリン村とくるみの木」1962年から2年間続いた人気人形劇でした。高崎邦男さんの企画で始まった番組で、子供向けのプログラムの中では一番の人気番組で、武井先生も演出グループの一人として加わっていたそうです。

この人気番組も2年目の夏、ついに番組を終了して、新しい連続人形劇をスタートさせると言う、放送局の編成方針が打ち出されました。

当時、まだNHKには入社5年目の新人ディレクターだった武井先生は山手線の中で新しい番組の構想を練っていました。

そこで思いついたのが「ひょうたん島」の発想でした。

タイトルは、はじめは「ひょうたん島盛衰記」にしようと思ったそうです。
しかし、これでは子どもには難しいタイトルですよね。

ディレクター仲間の山口雄一さんから、「びっくり ひょっこり ひょうたん島」というのはどうか?
というアイデアを頂いたそうです。

しかし、このままでは長すぎて 新聞のテレビ欄に入りきれないということで、

「ひょっこりひょうたん島」という名前に決まったのですね。

 

井上ひさしさんとの出会い

1962年3月、武井先生はNHK放送記念日特集として「テレビ憲法」というホームドラマを提案しました。
この企画はすんなりと承認を受け、脚本家としてお願いしたのが井上ひさしさんとの出会いでした。
当時、井上ひさしさんが27歳、武井博先生が25歳の時でした。

そして、この「テレビ憲法」が縁となり、家族ぐるみの付き合いがはじまります。
ある時、井上ひさしさんの奥様から武井先生のところに電話があり、

「アパートのとなりの部屋があいたのですが、引っ越してきませんか?」

というお誘いがあったそうです。

1DKトイレ付き、風呂無しのちいさなアパートだったそうですが、武井先生はそのアパートが気に入り
井上ひさしさんと「お隣さん」のお付き合いが始まったのです。

壁1枚隔てただけのお隣さん。井上ひさしさんご夫婦の「夫婦喧嘩」の声まで聞こえてきたそうで、
小さなアパートだけれども、楽しい毎日を送っていました。

 

どくとるマンボウ 北杜夫さんに あっさりと断られる

武井博先生が「ひよっこり ひょうたん島」の原作をお願いに、最初に門を叩いたのが
どくとるマンボウこと、北杜夫さんでした。

武井先生が、北杜夫さんに原稿の依頼をした時、「精一杯、ご期待に沿えるように考えておきます。」
という言葉を頂いたそうです。

そこで10日後、世田谷にある北杜夫さんの自宅を訪ねてみると、

「あなたの提案書、なかなか文章が上手だから、あなたがやればどうですか?」

と、あっさりと断られてしまいました。

 

「ひょっこりひょうたん島」誕生

困った武井先生。ここで白羽の矢を立てたのが、子どもが生まれてアパートを替えるまで、「お隣さん」同士だった
井上ひさしさんなのです。ただ、週5本の脚本を1人で作るのは大変だろうと考えて、児童文学作家を志す、
山本護久さんにも声をかけたそうです。

おふたりとも、まだ、20代の、あまり名前の知られていない新進の放送作家でした。

こうして、井上ひさし、山本護久のゴールデンコンビが誕生したのですが、もし、北杜夫さんがOKしてくれていたら、
「ひよっこりひょうたん島」はまったく別のものになっていたことでしょうね。

「ひよっこりひょうたん島」の構想をねるため、武井先生はホテルの1室を借りて、井上ひさしさん、山本護久さん
と泊り込みでアイディアを出し合いました。

そのホテルでのカンヅメ状態の中から、「ひょうたん島」を漂流させるアイディアや、ドン・ガバチョなどの
個性的で、魅力的な登場人物が生み出されていったのです。

 

「ひょっこりひょうたん島」テーマソングの誕生

「ひよっこりひょうたん島」の放送開始が迫る中、武井先生は再び、井上ひさしさん、山本護久さんとカンヅメになります。

2日間で歌詞を作らなければ、タイトルアニメーションの製作に間に合わなくなるという、とても、切迫した状況に追い込まれたのです。
今度はホテルではなく、辻堂の井上さんの家に泊まりこんでの会議でした。

ところが、2日間経っても「これだ!」という歌詞が生まれてこなかったのです。

とうとう3日目の朝。締切りの日を迎えてしまいました。
とにかく、何のアイディアも無いまま、辻堂駅からNHKの本社がある新橋に向けて、東海道線に乗り込みました。

4人がけのシートに3人で座り、新橋までの道のり、長い沈黙が続きました。

その時、井上ひさしさんがぼそっと口を開いたのです。

「武井さん、今、僕の頭に1つだけ、言葉が浮かんだのですが・・・・」

「まるい地球の水平線」

「それで行こう!」と武井先生は叫びました。

それから次々に、まさに溢れるように歌詞がぽんぽんと飛び出してきました。

歌詞が完成して3人が「やったー!」と叫んだのが、新橋駅の1つ手前の品川駅でした。

まさに、すべり込みセーフ。
こんなぎりぎりすべり込みで、あの名曲が誕生したのです。

このテーマソングは、オーディションで選ばれた前川陽子ちゃんが歌うことになりました。
当時、まだ中学1年生の女の子が抜擢されたのです。

そして、このテーマソングは今も、岩手県上閉伊郡大槌村の「ひょうたん島」蓬莱島の灯台
からチャイムのように流されて、町の人たちに復興への希望を与え続けています。

武井博先生は93年にNHKを退職し、神学校に入学。99年から「横浜カルバリー・チャペル」の牧師として、

毎週日曜日、講壇から「生きる希望」を語り続けておられます。

泣くのは嫌だ 笑っちゃおう
アルテスパブリッシング

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