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第1章 5w1H

次の週の日曜日、私は中学科のクラスで用意したプリントを配っていた。

「うはっ! これ、何語ですか??」

 いつもは沈着冷静な学くんが、すっとんきょうな声を上げた。

 (うん、いい反応だ。)

「ガラテヤ人に宛てた手紙だからガラテヤ語だろう。中国人なら中国語で書かないと読めないぞ。」

晴美さんが自信たっぷりに言うが、当然、正解ではない。

「いゃー、晴美さん、おしいな。でもガラテヤ人なんていないんですよ。
1章の2節に書かれている通り、「ガラテヤの諸教会に宛てた手紙」なんです。」

「新約聖書はもともとギリシャ語で書かれていたのです。だから原文のギリシャ語の意味を調べる
ということは、とても重要なことなのですよ。」

「先生、ギリシャ語なんてさっぱりわかりません。英語だって良くわからないのに。」

 クラスがいつになくざわついていた。

(はて、ギリシャ語の原文を載せたのは今日が始めてだったか?。)

「大丈夫。ギリシャ語はわからなくてもいいんですよ。
「ギリシャ語ではこういう意味です」と書かれた本があるから、
それを参考にすればバッチリ、オーケー、ノープロブレムです。」

なんだか説明がぎこちない。中学生にギリシャ語はまだ早かったかも知れない。

「さて、本文に入っていく前に、いつものように「聖書を読み解くポイント」を揚げてみよう。」

 

「ハイ、ハイ、ハイ、先生。5w1Hです。」

元気よく晴美さんが答えてくれる。
晴美さんは本当に元気がいい。

「では、5w1Hって何だったかな?」

「えーっと、いつ、どこで、だれが、だれと、何した。」

そこまで、突っ込まれると思わなかったのだろうか、
さっきまでの元気は、どこふく風に行ってしまったことやら。

それにしてもいい感じでボケてくれる。
まあ、当たらずしも遠からじ、というところだろうか。

「うーん、まあ、そんな感じだね。じゃあ、まず、いつ書かれたか。
この本によると西暦49年から53年ごろに記されたたと書いてあります。」

「日本で言えば 弥生時代のころですね!」

学ぶくんが鋭く補足する。

学くんは、聖書だけではなく、日本の歴史にも、実に詳しい。
そう、西暦53年といえば「倭」の国王が後漢の光武帝より金印を賜った、
まさにその頃書かれたものだ。

「へぇーそんな昔なのか。まだ石器時代の初め頃だよな。」
晴美さんが考え深げにうなずいていた。

(いやいや、晴美の歴史認識はどこかずれている。)

「ただ正確な年代を知ることよりも、それが「使徒の働き」の中でどの辺りに書かれたことかを知ることが重要なんですよ。」

「先生、パウロの手紙は、確か、パウロが開拓した教会が、今、どんな状況にあるか心配して書いたものなんですよね。」

 聖書の話しになると、学くんはとても中学生とは思えない発言をする。

「そう、ずばり、そこなんですよ。」

「でも、このガラテヤ人の手紙だけは、他の手紙とはまったく違う、別格の書なんですね。
その書き出しからして、異様な雰囲気をかもし出しています。」

「今日は、冒頭の書き出しから始まって、この手紙がどれほど異質なものであったかをみていきましょう。」

コラム ① ガラテヤ人への手紙はいつ、どこで書かれたのか。

この件に関しては諸説があります。
まず、最大のポイントは「ガラテヤ人への手紙2章1節のエルサレム訪問でしょう。

これが使徒の働き11章2節の出来事なのか、15章1節から始まるできごとなのかで
大きくことなります。

「ある人々がユダヤから下ってきて、兄弟たちに「モーセの慣習に従って
割礼を受けなければ、あなたがたは救われない。」と教えていた。」
                       使徒の働き15章1節

このことを受けてパウロとバルナバと仲間の幾人かはエルサレムに上っていきます。
そして激しい論争となりました。有名なエルサレム会議の出来事です。

もしガラテヤ2章1節がこの時のことを示すならば、ガラテヤ人の手紙は
「エルサレム会議の後」書かれたということになります。

このガラテヤ人の手紙がエルサレム会議での決定を受けて書かれたことなのか、
それ以前に書かれたのかは諸説がありそれを判断するのは大変に難しい問題です。

しかし、この手紙が「撹乱されていたガラテヤの諸教会に宛てて、福音の真理を書き送った」
という事実は変わることがありません。

第2章 「 パウロス・アポストロス」へ続く

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